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「そなたという奴は、出陣を控える夫の前でよう左様な話をぺらぺらと!
雌鳥のくせに朝でも告げようというのか !?」
姫の推察通りだったのか、信長は慌てて虚勢を張ろうとする。
「ご安心なされませ。左様なお心配りをなされずとも、父上様ならば、きっと殿の為に軍をお遣わし下さいまする。
されど念の為、殿のご指示通り母上に文を書いておく事に致しましょう。それで殿のお心が少しでも和らぐのでしたら」
からかうような微笑を浮かべながら、濃姫は装った冷静さで応じた。
信長の整った容貌が、みるみる子供じみた剥(むく)れ顔に変わってゆく。
「まったく、そなたは何というおなごか…」額頭紋消除
濃姫に悪気はなかったのだが、妻の茶化すような対応に信長は完全に憤りを感じていた。
しかし彼は、振り上げた拳を静かに脇に下ろすように、込み上げてくる怒りの感情をすぐに打ち消した。
今から宿敵と刀を交えようというのに、このような事で気を揉んでいてどうするのか?
そもそも今は、姫と夫婦喧嘩をしている場合ではないのだ。
暫しの間の後、信長は重々しい溜め息を漏らすと
「とにかく頼んだぞ──」
一言そう言い残し、早々とその場から去って行った。
何かしらの反論があると思っていただけに、この思いがけぬ反応には濃姫も驚かされていた。
道三との会見の折には冗談を言う程の余裕があったというのに…。
やはり戦に、それも相手方が長年の宿敵ともなると、男はこうも火の着き方が違ってくるものなのかと、
濃姫は未知の部分に触れたような心境で、徐々に遠退いてゆく夫の足音に黙って耳を傾けていた。
それから程なく、美濃の道三の元へ織田家からの使者が遣わされ、城番の軍勢を一隊派遣してほしいとの依頼が為された。
これを受けた道三は、目尻に深い笑い皺を寄せて
「我が美濃軍に己の城を預けようとは、婿殿め、この上ない信頼の証を見せおって──。これを断っては蝮の道三の名折れじゃ」
と、信長の心配など杞憂の極みとばかりに、この依頼をあっさり快諾したのである。
さっそく斎藤家の家臣・安藤盛就(あんどうもりなり)を大将に、兵を千人ばかり付けた、那古屋城の留守居部隊を形成させた。
これに田宮、甲山、安斎、熊沢、物取新五なる五人の家臣を加え
「こちらも力を貸すからには戦の終始を知る義務がある。よいか、見聞きした情報は、毎日欠かさず儂に報告致すのだ」
と道三は厳しく申し付けて、その同月の十八日に兵を尾張へと派遣した。
そして二十日。
盛就率いる美濃の軍勢が尾張に到着し、那古野城から程近い、志賀、田幡の二郷に布陣した。
これを知ると、信長は直ちに盛就の元へ出向き
「よう参って下された。これで心置きなく今川勢と戦えるというもの。──ほんに感謝致す」
慇懃に礼を述べ、その労をねぎらった。
「礼などとんでもございませぬ。信長殿が安んじて戦に挑(のぞ)めるよう、しっかりと留守居の役目を果たして参るようにと、美濃の殿からも重々申しつかっております故」
「そうであるか、あの親父殿がのう」
「…して、肝心のご出陣はいつを予定なされておられるのです?」
盛就が率直に伺うと
「明日にも出陣致すつもりじゃ。そちら様の到着を待っていた分の時間を、少しでも早よう取り戻したいからのう」
織田家は元々斯波氏の家臣の立場にあり、一時は義統の父で前斯波家当主・義通によって弱体化していた。
しかし義通が失脚し、義統が幼くして家督を継いだのを機に、織田家は徐々にその勢力を回復。
やがて主家を凌ぐ程にまで成長した為、斯波氏は次第に力を失っていき、今や信友に擁される傀儡守護に成り果てていた。額頭紋消除
信友は織田伊勢守家や台頭目覚ましい織田弾正忠家に対して、自らの大和守(清洲織田)家こそが、
織田家の中枢なのだという主張を兼ねて、主家の義統を擁して来た訳だが、少なくとも彼のような偶人的存在にはなりたくないと常に思っていた。
「その通りじゃ、大膳。儂はいつまでも家臣の腕にすがるばかりの無能者ではない。
それ故、もしも佐渡守らの説得が思わしくなかった時は、儂が直々に信勝殿をご説得申す」
「殿が、お一人で?」
「無論じゃ。必ずや儂が信勝殿を説き伏せ、あのうつけ者を討つように仕向けてみせるわ」
信友が軽快に笑う様を、大膳は暫し険しい表情で眺めると
「承知致しました。殿のお手並み、しかと拝見させていただきまする」
急に笑顔に切り替え、ゆっくりと低頭した。
「では殿、今宵はもう遅うございます故、我々はこれにて──」
大膳は今一度頭を下げると、与一と三位を引き連れて速やかにその場を辞した。
部屋の襖をきちんと閉め、点々と行灯の置かれた薄暗い廊下を、三人は黙って歩いて行く。
「坂井殿、よろしいのですか? 殿にあのような勝手な真似をさせて」
ふいに与一が、信友のいる部屋を軽く振り返りながら、声をひそめるようにして伺った。
「別に構わぬ。どちらにしろ信勝様が心を決めて下さらねば、此度の策は進められぬのじゃ。
殿が直々にご説得申し、それで信勝様が納得して下さるのであれば、それに越した事はない」
「殿は大方、信勝様のご説得に当たられる事で我ら重臣に主君としての威光を見せつけられたいのであろうが、
それしきの事で、長年我々が握り続けて来た家中での主導権を、今更取り戻せるとでもお思いなのでしょうかな」
三位は辛辣に笑った。
「我々が信勝様の擁立に尽力致すのは、偏に目障りな信長を廃し、我らが後ろ楯となった事実を恩に、
信勝様もろとも弾正忠家の者たちをこちらの手の内に収める事が狙い。何かと油断のならぬ信長と違(ちご)うて、信勝様は扱いやすいからな」
言うなり大膳は、喉もとで妙な含み笑いをし
「我らの権勢保持の為にも、殿にはせいぜいお力を尽くしていただこうではないか」
「はてさて、あの方にどこまで出来るか」
「見ものでございますな」
三人は吐息のようなせせら笑いを漏らしながら、薄暗い廊下の奥へと消えていった。
──人々の考えや思惑が如何に複雑を極めようとも、最終的には道理に従わざるを得ないのが世の常である。
うつけと呼ばれる信長もその道理から外れる事なく、信秀嫡男として織田弾正忠家を相続し、当主の座に君臨した。
「どうしてそんな嘘つくの?松子様に言わされてるの?松子様が私達の婚姻に反対されてるからなのね?」
女将はあくまで三津に仲を引き裂かれた事にしようとする。分かってはいたがその往生際の悪さに入江はうんざりした。
「女将,素直に認めなさったらいかが?どうしてそんな嘘を重ねるの?松子さんをそんなに悪者にしてまで。」
千賀の言葉に女将は俯いて唇を噛んで拳を強く握った。額頭紋消除
「違うわ……みんな騙されてるんです!千賀様も松子様に騙されてます!あの人は木戸様と言う夫がありながら色んな男に色目を使って誑かしてるんです!だって私は木戸様からその事で相談を受けてたんですもの!」
「あら,それは随分な事ねぇ。それは貴女が木戸様と親密な関係にあると言っているのかしら?」
「いえ!決してそんな意味ではっ!」
「でも妻のそんな不名誉な話は木戸様ご自身にとっても恥になるのだから,親密な間柄でないと口にはしないと思うのだけど?
貴女,自分の事は棚に上げて木戸様と不貞を犯してたのでは?」
それには周りの客達も“そうなんじゃない?”と言う目で女将を見るようになった。千賀の方が断然発言の影響力は大きい。
「違っ!違いますっ!私は本当にっ!不貞を犯してたのは松子様で……。」
「何だ,まだ御託を並べておるのか。」
ふらりと店に踏み込んで,呆れた奴だと女将を見下ろす元周に誰もが青ざめた顔で頭を下げた。
藩主の登場に女将は卒倒しそうになった。だがそれ以上に魂を飛ばしそうになったのは女将の両親だ。
「キヨ!キヨ!本当の事を話しなさいっ!私と父さんにも嘘をついちょったんやろ!?」
女将の母が呆然と立ち尽くす娘の両肩を掴んで激しく揺すった。
「本当の事?木戸様と私が何もないのは本当よ……相談を受けてたのも本当。松子様と不貞関係にあったのは入江様よ。
私は入江様を慕ってるのに……なのに人妻なんかに想いを寄せて……。それで幸せになれるわけないやないっ!
やから私と一緒の方が幸せやって教えたかったの!」
「本当にそうか?お前は昨日私の前で松子を貶めようとした事を認めた。咎められて当然だと。
松子への勝手な妬みからの行いだろ。」
元周は女将に顔を寄せて,この顔をよく見て思い出せと言った。藩主の顔などこんな間近でじろじろ見れたもんじゃない。だか少しの間その顔を眺めてどこで会ったか思い出して血の気が引いた。
「思い出したか。もう言い逃れは出来んぞ。ついた嘘を洗いざらい話せ。そして迷惑をかけた入江と松子に詫なさい。でなければ相応の仕打ちを受けると忠告した。」女将は項垂れてはいるが反省の色は見せなかった。ここに来ても自分は悪くないという姿勢を崩さない。
「松子様は最低よ……。伴侶がありながら他所に手を出すなんて,私から逃げた夫とやってる事が同じよ。
しかも手を出してる相手が以前私を救ってくれた恩人で,ずっと忘れられない人やった。許せる訳ないでしょう?
それに似てたのよ,私から夫を奪った女に雰囲気が。」
「おい,さっきから私と松子様が不貞関係にあるように話してるがその事実は一切ない。
でなければ木戸様からとっくに咎められて側から外されてる。
確かに松子様は好かれる,慕われる。私も慕う者の一人には違いない。
だが松子様は木戸様を裏切った事など一度たりともない。それはずっと側に仕えて見てきた私が知っている。
今後に及んでまだ藩主様の前で嘘を並べるか。」
ここまで追い詰められ,晒し者にされているのに泣き崩れる事もなく,非を認めて謝りもしない。それには元周と千賀は顔を見合わせた。それから元周はふぅと息を吐いて店の外に目を向けた。
坂本からの便りにはあの日何故西郷が下関に来られなかったかの理由が綴られていた。
あの日西郷が来なかったのは江戸に向かったからだった。
「二度目の長州征伐の命令が下ったのを取り下げるよう直談判する為に行き先を江戸に変更したそうだ。」
「そうか。って事は遅かれ早かれまた戦になるなぁ。桂さん武器が欲しい。」
阿弥陀寺の本堂に上がるまでの階段に腰掛けて話していた高杉は真っ直ぐ前を見たまんま隣りに腰掛ける桂に言った。
「……分かってる。」 額頭紋消除
「すまんな……いつも気が滅入る役回りばっかで。」
「それはお互い様だ。」
桂はふっと鼻で笑った。
「お前だって私がここに戻るまで大変だったろ。」
桂の言葉に今度は高杉がふんと鼻を鳴らして笑った。
「まぁな。都合良く泣きついてくるもんでな。とにかく外国との停戦交渉はどうしようかと思ったわ。けど俊輔が通訳で役に立った。あいつイギリスに行かせちょって良かったな。」
「あとはお前の作戦勝ちだろう。直垂に烏帽子で古事記を延々話したと?伊藤君も訳しながら気が狂いそうやったって言っちょったぞ。あと賠償金は幕府に請求……ふふっそれは良くやった。」
桂に褒められた高杉は得意げににっと歯を見せた。
「やのに長州征伐が迫っちょるの分かったら幕府にひれ伏す馬鹿な身内に命狙われて小倉まで逃げたわ。」
長州藩の内部もまた佐幕派と幕府と穏便でありたい保守派に分かれたままで,佐幕派が何か仕出かす前にと保守派が次々粛清していった。その上幕府の言いなりになり家老三人に腹も切らせた。
流石にそこまでやりたい放題やられて黙ってる高杉じゃない。身を隠してた小倉からすぐに長府に戻った。
「内乱起こすはいいがもう俺の味方はほぼおらんくて呼びかけて集まったんは俊輔と他に八十人ほど……。奇兵隊はもう総督罷免されとったし武人には無謀やって手も貸してもらえんかったしなぁ。」
頼りになる久坂も吉田も入江も居ない。そんな状況にも関わらず伊藤と力士隊その他の有志で功山寺にて挙兵した。
「それでよく勝てたな。」
「やろ?本当に上の連中は都合良く俺を呼び戻す癖に何かあるとすぐ殺そうとしやがって。
ちょうどそこで桂さん帰って来てくれたけぇ助かったわ。」
戻って来て早々高杉と伊藤の命を狙うのは止めろと叱咤させられるとは思わなかったと桂は苦笑した。
「桂さんも大変やったな……出石……。」
「もう思い出させないでくれないか……。」
そろそろ前を向かせてくれと深い溜息をついた。「んで,どうなん?三津さんは傍におってくれそうなん?幾松さんが味方してくれとるけぇちょっとは良くなるんやないか?」
「幾松が三津をそう言う風に認めてたのは今朝初めて知ったよ。
三津は……妻にはなってくれなくても多分近くには居てくれるんじゃないかなぁ……。心配症で世話焼きな所あるから。愛情じゃなくて同情の部類になると思うがそれでも居てくれるなら私は構わない。」
「九一はどうする気やろな。つげの櫛まで渡しといてどことなく桂さんとの仲取り持っちょるやろ?」
それには桂も感じているが解り兼ねると唸った。
「文ちゃん曰く九一は夫婦になる事にこだわっとらんらしい。それは三津も同じらしいから二人は今のままで一緒に居たいんじゃないかと思う。」
どう言うつもりなのか真意は二人にしか分からないが桂の中では二人は時間を止めたいのではと思ったりする。
二人の似ている所は心の弱い部分だと桂は思う。
入江は師の最期も同志の死も,受け容れて感情を上手く処理する事が出来ないでいた。
三津もまた同じだ。
入江の言葉と温もりに頭がぼーっとし始めた時,
がたんっと玄関先から音がして二人の体は咄嗟に離れた。
「ようやくお帰りですかね。」
何処で何してたか問い詰めてやりましょうか。なんて笑う入江と一緒に家の主を出迎えに行った。
「遅いじゃないですか。何処で誰と何してたんです?」 額頭紋消除
にやにや笑う入江の横にお帰りなさいと微笑む三津を確認して桂はふぅっと息を吐く。
「中岡君に会って話が弾んでしまった。玄瑞も一緒だったから聞けば分かるよ。
それよりまた晋作が馬鹿な事を言い出したね。」
三津に視線を寄越すと三津は何度も縦に頷いた。
「中岡さんこっちに居るんです?それは驚いた。
お忙しいのは分かりますがちゃんと三津さん守ってあげてくださいよ?では私はこれで。
三津さんおやすみなさい。」
「はい!ありがとうございました!おやすみなさい。」
ぺこりと頭を下げた三津に笑みを投げかけて入江は家を出た。
「こんな時に遅くなってすまない。」
何も出来なくて不甲斐ないと肩を落としながら家に上がった。
「いいえ。まさか高杉さんが子供産んでくれなんて言うと思いませんでしたから。」
明日になったら忘れてくれてるといいなと笑っていると桂の温もりに抱き締められた。
「私の子供は産んでくれる?」
三津の頬に自分の頬をすり寄せて耳元に吐息をかけた。
きっと顔を真っ赤に染め上げて慌てふためくに違いない。
その反応を期待する。「小五郎さん……。」
あなたの子供なら喜んで。とでも言ってくれるかな?そんな期待も抱いていたが,
「酔ってますね?いつもよりお酒の匂いがぷんぷんします。お水飲んでください!」
ぐっと胸を押し返されて膨れっ面とご対面。
「もっと言う事ない?」
愛する相手から子供が欲しいと言われてるんだよ?そんな思いも伝わらず,三津は水水!と台所へ行ってしまった。
「本当に私の男としての自信を削ぐのが上手いね……。」
こんなにも通用しないのは初めてだと居間に座り込んで項垂れた。
「まだまだ教え込みが足りないかな。」
水を飲みながらてきぱきと寝床を整える三津を眺めて呟いた。
「ん?何ですか?」
こっちの話と苦笑いではぐらかして敷かれた布団にごろんと転がった。
「おいで。」
細い手首を掴んで引っ張れば簡単に胸に飛び込んでくる。その体を抱き留める。
「ちょっと……。」
桂を押し倒すような体勢になってしまって三津の顔は真っ赤だった。
その顔を両手で挟んで唇を重ねた。
「んー!酔っちゃいそう!」
お酒の匂いに堪らず胸を押し返す。
「酔っちゃえばいい。この前の三津可愛かったから。」
両肩を掴まれた三津が瞬きしてる間に視界には天井と桂が映り込んだ。
「お酒は強い方でね。ちゃんと頭も働くし記憶だってある。しっかり剣を振るう自信もある。」
にんまりと笑った桂の重みを感じてようやく自分が下敷きになってると気付く。
「でも三津は記憶を失くすし寝てしまうから私以外の男と呑んじゃ駄目だよ。何されるか分からない。」
君に何かしていいのは私だけだからね。
瞬きを忘れて見上げてくる三津の赤らんだ頬を優しく撫でて言い聞かす。
「私は触れてもいいよね?」
柔らかな目元に見つめられて三津はこくこく頷いた。
「じゃあ遠慮なく。」
「えっ!?いや!今やなくっ……んー……。」
反論を聞く気はない。言わせない。
あとは何も言えなくなるまで自分に溺れさせるだけ。
『三津の方からもっと求めてくれるようになるにはどれくらい時間を要するだろうね?』
恥じらいながらも従順な三津が堪らなく愛おしい。それに貪欲さが備われば……。
次から次へと溢れ出る欲求に自分でも苦笑した。自分はここまで欲深い人間だっただろうか。桂自身でも不思議に思う。
『だから余計に手放したくないんだよ。』
間違いなく三津以上なんていない。
あの時は一喝したが高杉の三津を欲しがる理由はよく分かる。
『動かす糧……。そうだな糧だ。』